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大阪地方裁判所 昭和35年(わ)255号 判決 1970年5月04日

主文

被告人八木を懲役一年に

同 亀井を懲役六月に

同辰巳、同前田を各懲役五月に

各処する。

但し、右被告人四名に対し、この裁判確定の日から二年間右各刑の執行を猶予する。

被告人八木から金八〇万円を

同 亀井から金四〇万円を

同辰巳、同前田から各金三〇万円をそれぞれ追徴する。

訴訟費用中、証人中井信夫、同末松泉、同山中正樹、同高岡愛明、同梅本敬一に支給した分は被告人四名の負担とし、証人東中宏に支給した分は被告人八木、同亀井、同辰巳の負担とし、証人中野春吉同高幣常市、同山田新七、同高木長一に支給した分は被告人八木、同亀井の負担とし、証人成山時枝に支給した分は被告人八木、同前田の負担とし、証人小西重太郎、同浦野健二郎に支給した分は被告人八木の負担とし、証人大橋治房、同酒井朋三、同長谷川潔に支給した分は被告人亀井の負担とし、証人堀田蕃、同亀山孜に支給した分は被告人前田の負担とする。

理由

(被告人らの身分関係)

被告人八木は、昭和二五年六月の大阪府議会議員選挙に当選して以来同選挙に連続五回当選し、現在に至るまで同議員の地位にあり、その間同三〇年五月より同三一年五月までの間同府議会副議長を勤め、同四四年六月より現在まで同府議会議長を勤めているものであり、初めて当選した当時は日本国民民主党に所属していたが、同党が後に民主党になり、更に同三〇年一一月自由党と合同(いわゆる保守合同)して自由民主党となり、同三一年一月同党大阪府支部連合会が結成されたのに伴い、同党に所属し現在に至つている。

被告人亀井は、同一四年九月大阪府議会議員選挙に当選して以来同選挙に連続当選し、現在まで引続き同議員の地位にあり、その間同二四年一二月から同二五年九月までの間同府議会議長を勤めたものであり、戦後は民主党に、前記保守合同以来は自由民主党に所属し、現在に至つている。

被告人辰巳は、同二六年四月大阪府議会議員選挙に当選して以来同選挙に連続二回当選し、その間同三一年六月から同年九月までの間と、同三三年六月から同三四年六月までの間の二回にわたつて同府議会議長を勤めたものであり、初めて当選した当時は自由党に、前記保守合同以来は自由民主党に所属している。

被告人前田は、同二六年四月大阪府議会議員選挙に当選して以来同選挙に連続当選し、その間同三八年六月から同三九年六月までの間同府議会議長を勤めたものであり、初めて当選した当時は自由党に、前記保守合同以来自由民主党に所属している。

(大阪府議会議長選出の実情)

一、大阪府議会議長選出の一般的実情並びに自由民主党内における、議長候補者選出の一般的実情

地方自治法によると、府議会議長の任期は議員の任期すなわち四年間と定められているが、大阪府議会にあつては議長希望者が多いところから議長は任期満了を待たず一年間で交替する慣行があり、通例毎年五月の定例府議会において前の議長が辞任し新議長の選挙が行なわれる。

そこで、以下、議長選出過程の平常のあるべき状態について述べる。

すなわち、まず毎年五月の定例府議会の会期中に議会運営委員会(各会派より議員五名につき一名の割りで選出される委員で構成する)が設置する役員選考委員会において、議長、副議長、監査委員等各種役員の各会派への割振りが決定される。大阪府議会においては、一部少数会派を除く大多数の会派間には、議長は最大多数会派から(副議長はこれに次ぐ多数会派から)選出するという一般的な建前が一応了解されていたので、右役員選考委員会においては同三一年五月以来常に最大多数議員を擁してきた自由民主党(以下自民党という)議員団に議長を割当てていた。そして、自民党において議長候補者を一人に絞り、これを府議会の本会議議場における選挙手続の直前に右役員選考委員会に届出、他会派に右候補者を紹介しておけば、議場における正式の選挙手続(投票または指名)においても、自民党議員は勿論、前記議長は最大多数会派からという建前を了承する他会派議員も右自民党候補者の議長選出に協力し、同人が議長に選出されることとなる。ところで、自民党議員団内部においても、議長希望者は一人でないことが多くこのような場合に同党推せん候補者をどのようにして一人に絞るかというと、通常の場合、まず同党幹事長や幹事らが議長希望者と個々に折衝して話合いによる調整を行ない、これができない場合には、議場における選挙手続の数日前に同党所属議員全員による議員総会を開き、そこで予め幹事長に届出ていた議長希望者について無記名投票を行ない(以下この投票を党内投票という)、議場での選挙手続の行なわれる直前に、再び議員総会を開いて開票し、最高得票者を同党推せん候補者として決定するという方法がとられていた。

ところで、以上述べたところは、大阪府議会における議長選挙、自民党内の候補者選定の平常のあるべき運用であるが、過去における実際の状態は、右のあるべき運用と一致しない場合が相当に多かつた。すなわち、昭和三一年六月から同三五年六月の選挙についてみても、(一)同三一年六月の議長、副議長の選挙にあたり、自民党は、議長候補者を被告人辰巳に、副議長候補者を五十嵐英一郎に決定したが、被告人辰巳の議長選出を支持する同党議員の一派は、前記保守合同直後の議長選挙であることから、他の同党議員の一部が党の決定に反して、議場における議長選挙の際被告人辰巳に投票しないことを虞れ、社会党議員との間で、同党議員が議長選挙で被告人辰巳に投票してくれるならば、副議長選挙では同党の候補者居川喜太郎に投票しようという密約をかわし、右約束に従い党の決定に背いて副議長選挙で居川に一票を投じ、その結果居川と五十嵐の得票が同じになり、抽せんの結果居川が副議長に就任したことがあり、(二)、同年九月の議長選挙では、同じ自民党の大橋治房と西田俊信が議場で争い、投票の結果大橋が僅差で西田に勝つて議長に就任したことがあり、(三)、同三五年六月の議長選挙では、後記のとおり、被告人前田が酒井朋三と党内投票で争つて勝ち、自民党の議長候補者となつたが、議場における選挙手続の際酒井派の一部議員が議場に入らず、結局定足数不足のまま会期切れとなり、被告人前田の議長就任が実現されなかつたことがあつた。またその他、自民党の候補者が決定された後、反対派議員が、自民党に属しながら別会派を作り、独自の候補者を立てて議場で争つたり、議場に入らなかつたりして、同党の候補者の議長実現を阻もうとした事例は一、二に止らない。

このような実情であつたため、本件昭和三一年度及び同三五年度の議長選挙に際しては、自民党内において議長候補者が決定されても、同党所属議員全員が必ず右決定に従つて議場における議長選挙手続の際、右候補者の議長実現に協力して行動し、その選出が前記のあるべき運用の通り行なわれることをあらかじめ期待することは難しかつた。

二、昭和三一年六月の議長選挙の実情

昭和三〇年一一月自由党と民主党が合同して自由民主党が結成され、同三一年一月一六日同党大阪府支部連合会が結成され(ただし、大阪府議会内部における旧自由党系と旧民主党系の各議員団の間ではなかなか従来の対立感情が解消せず、同年五月二六日に至りようやく、右両議員団が、自由民主党府議会議員団として一本化した。)、同三一年六月の議長選挙は自民党結成以来最初の議長選挙であつたが、被告人辰巳は早くから右選挙に出馬しようと決意し、橋本親義を参謀として、自己が属していた旧自由党系はもとより、旧民主党系の各議員に対しても積極的に働きかけて自分を支持してくれるよう依頼していた。そして、被告人亀井は当時から旧民主党系の長老でその発言力も大きかつたので、被告人辰巳にとつても被告人亀井の支持を得られるかどうかは重大な関心事であつた。そして、被告人辰巳のほかに自民党内部において同年度の議長を希望するものとして、自らその意思表示をなし、また噂に上つたものは酒井朋三、梅本敬一、大橋治房らであつたが、被告人辰巳は党内投票の結果、最多得票を得て自民党の議長候補者に推挙され、同年六月一四日行なわれた議場投票でも圧倒的多数の得票を獲得して、第五二代の議長に選出された。

三、一八会グループの結成

ところで、前記昭和三一年六月の議長選挙に際し、被告人辰巳及び同被告人を支持する西田俊信、被告人前田治一郎、前田照真、橋本親義、村主好啓ら一一名の議員は、前記のとおり、議場において確実に被告人辰巳を議長に選出するため、社会党と密約をかわし、議長選挙で被告人辰巳に投票してもらう代償として、自民党の決定に反して、副議長選挙で社会党の居川喜太郎に投票したのであるが、そのことが右選挙後問題となり、党内に前記一一名の議員を除名せよとの動きがでてきたので、前記議員らは強固な団結を結んで右の動きに対するため、同三一年六月一八日、親睦を目的とする一八会なるグループを結成した。右一八会は人数こそ一一名であつたが、党内の有力議員である被告人辰巳、西田らを中心にその結束が極めて強固であり、党内において隠然たる勢力を有し、同三二年六月、同三三年六月、同三四年六月と連続して同グループから議長を輩出せしめた。

四、昭和三五年六月の議長選出の実情

被告人八木は、かねてから議長になりたい希望を持つていたが、昭和三四年六月の選挙で一八会グループの村主の議長実現に努力したことから、同三五年六月の選挙には一八会の支持が期待できると考え、同三四年一二月頃には右選挙に出馬する決意を固め、同年暮に選挙運動の手はじめとして、自民党所属議員の大多数に砂糖を歳暮品として贈与した。そして、年が明けるや個別に自民党議員を自宅に訪問するなどして面談の上、右出場の意思を表明し、自己の議長就任を支持してくれるよう依頼して廻る等積極的運動を開始した。

同年度議長選挙において被告人八木に対抗して出馬の意思を明らかにしていたものは、一八会グループに対抗する酒井朋三、一八会グループの支持を期待する東二三郎らであり、同人らも同三四年一二月頃から運動を開始していた。また一八会グループの一員である被告人前田も、当時幹事長であつたため表面立つた運動はできなかつたが、心中密かに一八会グループの支持で出馬したい意向を持つていた。

ところで、一八会グループにおいては、従来会員中より連続三回にわたり議長を出していたので、同三五年度においても会員中より議長を出すというのでは党内に一八会横暴という批判が出そうな情勢にあつたところから、今回は会員中から議長を出すことを諦め、前回の選挙で村主議長選出に力のあつた被告人八木を支持しようという意見が有力となつた。被告人八木も右動向を察し、一八会グループの支持を確実なものにしたいと考え、被告人辰巳、西田俊信らに働きかけた。

そして、同三五年五月三一日夜、一八会グループは料理旅館「富久屋」に集り、議長問題について話し合い、本年度は同会会員のなかから議長候補者を出さないことを確認し、大勢の意見は被告人八木を支持しようというところに落着いた。そこで、その頃被告人前田は同党の議長候補者になることを一旦諦め、東二三郎においても右候補者になる望みを殆んど絶たれた。

そして、同党幹事団は六月五日料亭「若松」に被告人八木、東、酒井を個別に呼び出し、立候補調整の話合いをしたが、その際、東に付添つて来た吉村寅次郎が、被告人八木から三〇万円を貰つたが、返せと言われて返したという事実(後記罪となるべき事実第一の一〇)を暴露した。このことを知つた被告人八木は、右事実が暴露された以上自分が議長になる望みは絶たれたと考え、立候補辞退の意思を固め、翌六日正式に野出幹事長に立候補を辞退する旨申入れた。

そして、その後一八会グループが被告人八木の身代りとして推挙した被告人前田が、前記のとおり党内投票で酒井朋三に勝ち自民党推せんの議長候補者となつたが、議場における選出手続の段階で、定足数不足のまま会期切れとなり、結局そのときは前年度の村主議長がそのまま留任することとなつた。

(罪となるべき事実)

第一、被告人八木は、前記のとおり自由民主党所属の大阪府議会議員であつて、昭和三五年五月定例府議会において行なわれることが予定されていた、同年度の同議会議長選挙に当選したいと考えていたものであるが、

一、昭和三五年二月一〇頃、大阪府吹田市砂子町二、九三五番地所在の被告人亀井喜代丸方において、自由民主党所属の大阪府議会議員として同議会において行なわれる議長選挙に際し議長を選挙する職務を有する被告人亀井に対し、右昭和三五年度の議長選挙において、自己を自由民主党推せんの議長候補者として選出した上、議会において当選させてくれるよう、同被告人自身が行動するのは勿論、他の同僚議員をも勧誘説得してほしい趣旨のもとに、同被告人の妻亀井タマを介して、現金二〇万円を供与し、

二、同年三月九日頃、大阪市城東区放出町七六番地所在の大橋治房方において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有する同人に対し、前同様の趣旨のもとに現金一〇万円の供与の申込をなし、

三、同月中旬頃、同市南区難波新地所在の飲食店「ウイーン」先路上において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有する実野作雄に対し、昭和三五年度の議長選挙において自己を自由民主党推せんの議長候補者として選出した上、議場において当選させるよう取計らわれたいという趣旨のもとに現金二万円を供与し、

四、同月下旬頃、同市同区南海電鉄難波駅前路上において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有する小西重太郎に対し、前記第一の三記載と同様の趣旨のもとに現金二万円を供与し、

五、同年四月三日頃、東大阪市大字新喜多三五番地所在の被告人辰巳佐太郎方において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有する同被告人に対し、前記第一の一記載と同様の趣旨のもとに現金三〇万円を供与し、

六、同年五月三一日、大阪市南区畳屋町四〇番地所在の料理旅館「富久屋」において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有する西田俊信に対し、一八会グループの議員等が行なう各種会合等の費用の負担並びに前記第一の一記載と同様の趣旨のもとに現金八〇万円を供与し、

七、同年六月二日頃、同市北区北錦町四六番地所在の被告人前田治一郎方において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有する同被告人に対し、同被告人が同党の議長候補者になるのを諦めたことに対する慰謝並びに前記第一の一記載と同様の趣旨のもとに現金三〇万円を供与し、

八、同月三日、同市東区大手前町所在の大阪府庁地下廊下において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有する浦野健二郎に対し、前記第一の一記載と同様の趣旨のもとに現金五万円の供与の申込をなし、

九、同日同所において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有する末松泉に対して、前同様の趣旨のもとに現金五万円の供与の申込をなし、

一〇、同日同所において、同党所属の府議会議員として前同様の職務を有し、前記東二三郎の選挙参謀をしていた吉村寅次郎に対し、東がつかつた選挙運動費の一部補償並びに前記第一の一記載と同様の趣旨のもとに現金三〇万円の供与の申込をなし、

もつて、それぞれ公務員の職務に関して賄賂を供与し、若しくはその申込をなし、

第二、被告人亀井は、前記のとおり同党所属の府議会議員として、前同様の職務を有していたものであるが、

一、昭和三一年五月上旬頃、前記第一の一記載の自宅において、同年六月臨時府議会において行なわれることが予定されていた大阪府議会議長選挙に当選したいと考えていた被告人辰巳より、右選挙に際し同被告人を同党推せんの議長候補者に選出した上、議会において当選せしめるよう、被告人亀井自身が行動するのは勿論、他の同僚議員をも勧誘説得して尽力してほしい旨の請託を受けた上、即時同所においてその費用並びに報酬として現金二〇万円をもらい受け、もつて自己の前記職務に関し請託を受けて賄賂を収受し、

二、前記第一の一記載の日時場所において、被告人八木より同記載の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、妻タマを介して現金二〇万円をもらい受け、もつて自己の前記職務に関して賄賂を収受し、

第三、被告人辰巳は、前記のとおり同党所属の府議会議員として前同様の職務を有していたものであるが、前記第一の五記載の日時場所において、被告人八木より、同記載の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金三〇万円をもらい受け、もつて自己の前記職務に関して賄賂を収受し、

第四、被告人前田は、前記のとおり同党所属の府議会議員として前同様の職務を有していたものであるが、前記第一の七記載の日時場所において、被告人八木より、同記載の趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金三〇万円をもらい受け、もつて自己の前記職務に関して賄賂を収受し、

たものである。

<中略>

(弁護人らの主張に対する判断)

被告人八木の金員贈与の趣旨は自民党内における議長候補者に選出されたいという趣旨に止まるものであり、右自民党の議長候補者選出行為は、議員の職務に関する行為に当たらないから賄賂罪を構成しないという弁護人の主張について判断する。

被告人八木の弁護人は、(一)、仮に被告人八木が議長選挙に関して同僚議員に金員を贈与したものであつたとしても、それは、自己を自民党の議長候補者に選出されたいと依頼し、その対価として金員を贈つたものであり、府議会における議長選挙に関し、投票等の尽力を依頼したものではない。すなわち、昭和三五年当時の議長選挙の実情からすれば、自民党の議長候補者に選出されれば当然議場においても、議長に選出されたのであつて、議場における議員の出席、投票等の権限行使については、自民党の統制力(党紀律の拘束力)、府議会の運営に期待すれば足りたのであり、被告人八木がこれを顧慮する必要はなかつた。或いは、議場における議員の出席、投票については自民党の統制力等に期待するほかなかつたのであり、被告人八木の個々の請託の対象になりうるものではなかつた。(二)、そして、自民党の議長候補者決定行為は、議長選挙という議員の職務行為に密接に関連する行為ではない。すなわち、右決定行為は、党内の各議長希望者を一人に絞つて議長を自党に確保するという政治的配慮に立つた純然たる政党活動であり、事実上議長選挙と関連性があるけれども、議員たる資格と責務とは離れて政党員としての資格と責務に基づいて行なうものであり、その行為はあくまで政党に向けられた行為であるから、議員の職務行為とは法的に関連性がなく、密接関連行為とはいえない、と主張する。

そこで、まず(一)の主張について判断するに、被告人八木が議長に選出されるためには、自民党の議長候補者に選出されることがまず最も肝要なことであつたから、同被告人の同僚議員に対する働きかけも、その第一の眼目が党内の議長候補者に選出されるよう尽力を依頼することにあつたことは否定することができない。しかし、昭和三五年六月の議長選挙に関する客観的情勢は、前記「大阪府議会議長選出の実情」の項に判示したとおり、党紀律の拘束力がかなり弛緩し、自民党の議長候補者に決定されても、同党所属議員全員が党の決定に従い、議場において右候補者を議長に選出するために一致して行動し、右候補者が確実に議長に選出されることを必然的なものとしては期待できない実情にあつたから、被告人八木としても、議長就任という目的を達成するためには、同僚議員に対し、自民党候補者に選出してほしいことを依頼するほかに、議場における議長選挙手続の際の議場への出席、投票等の権限行使についても協力を依頼する必要があつたものと考えられる。そして、右のような事情は当時の自民党議員一般に認識されていたものと認められるから、被告人八木において同僚議員に対し議長選挙につき自己への支持、支援を依頼する意思を明示、または黙示で表示しただけで、党内の候補者選出手続と議場での正式選出手続の両者について協力を依頼する趣旨であることが相手方議員に了解できたと認められ、被告人八木が金員贈与の趣旨を右両者の依頼の趣旨である旨自供する検察官調書中の供述記載は信用することができる。

次に弁護人の(二)の主張について判断する。前記「大阪府議会議長選出の実情」の項で判示した、いわゆる党内投票による自民党の議長候補者選出と、議会における議長選挙との関係について考えてみるに、右議長候補者の選出は、同一会派である自民党に所属する府議会議員の全員が、議員以外の者を交えずに構成する議員総会において、投票を行なうことにより、議場における議長選挙の際の各議員の投票等の職務権限の行使につき、各議員の意思を統一し、統一の意思すなわち党の議長候補者の決定によつて各議員の前記職務権限の行使を拘束しようとするものであるといえる。そして、前記のとおり昭和三五年六月の議長選挙当時右拘束力がかなり弛緩していたとはいえ、自民党議員に対する拘束力はなお相当程度残つていたものと認められるから、議員の職務権限の行使に実質的な影響を与える行為であるといわねばならない。もつとも、前記議長候補者の選出は、自民党において自会派に議長を確保する目的のため、党の自主的決定に基づいて行なう手続であつて、政党活動としての一面があることを否定することはできない。しかし、大阪府議会議員全員ではないが、同じ府議会に属する議員のみが参集し、議長候補者を選出する行為は、議員が議場において議長を選出するという職務権限の行使に実質上しかも直接影響を与える行為であることに疑はなく、同僚議員に対する投票依頼の勧誘説得行為と同様に、議会の権限に属する議長選出の準備行為としての意味をもち、公務的性格を帯びる行為であるといわねばならず、前記のとおり政党活動としての一面があるからといつて、右公務的性格が抹殺されるわけではない。しかも右行為は、前記のとおり府議会における議長選出という職務行為をどのように行なうべきかを直接に問題としているものであるから、国会においての絶対多数党内で党の総裁を選出する行為が本会議において総理大臣を選出する国会議員の権限行使に間接的に影響を及ぼす場合と異なり、公務としての性格が濃厚で、それだけに右行為が金品供与によつて左右されることになれば議員としての職務執行の公正さを疑われることになる。そもそも法が収賄罪を処罰する所以は、職務の公正のほか職務の公正に対する社会の信頼をも確保しようとすることにある以上、議員の職務と密接な関連があるため賄賂と結びつくと職務の公正に対する社会の信頼を失わせる場合には、贈収賄罪の成立を認めて処罰しても差し支えないと考えるものである。議長たらんとする者のため同僚議員間の斡旋勧誘する行為が職務と密接な関係を有する行為であるとされるならば(昭和一一年八月五日大判、刑集一五巻一三〇九頁)同じく議長選出の準備行為としての意味をもつ議長候補者の党内選出行為もまた本来の職務と密接な関係を有する行為というべきである。従つて右行為に関して金品を供与すれば、刑法一九七条(一九八条)にいう「職務に関し」賄賂を供与したものと解するのが相当である。<以下略>(松浦秀寿 黒田直行 中根勝士)

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